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文公(ぶんこう、? - 紀元前804年)は斉(姜斉)の第10代君主。厲公の子。 == 生涯 == 厲公9年(前816年)、厲公が暴虐だったため、斉の国人たちは胡公の子を立てようと、厲公を攻め殺した。しかしその際、胡公の子も戦死してしまったので、斉の国人たちは厲公の子である赤(せき)を立てて斉君とした〔『史記』「斉太公世家」〕(以降は「文公」と表記する)。 文公は即位すると、父を殺した者70人を誅殺した〔。 文公12年(前804年)、文公が薨去し、子の説が立って斉君(成公)となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「文公 (斉)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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